Dover Street Market(ドーバー ストリート マーケット、通称DSM)は、コムデギャルソンの川久保玲が夫のエイドリアン・ジョフィとともに2004年、ロンドンに開いたセレクトショップだ。ただし「コムデギャルソンの直営店」と説明すると、この場所の半分も伝わらない。シュプリームとヴァレンティノが同じ建物に並び、川久保本人が「美しいカオス(beautiful chaos)」と呼ぶ売り場。世界中のバイヤーとデザイナーが「小売の理想形」として巡礼する、店の形をした批評である。

DSMは「店」ではなく「川久保玲が編集した都市」である

普通の百貨店は、ブランドを価格帯と格で棚に振り分ける。1階に化粧品とラグジュアリー、上へ行くほどカジュアル。この暗黙の序列こそが、20世紀の小売の文法だった。DSMはこれを壊した。数万円のストリートブランドと数百万円のオートクチュール級のメゾンが、同じフロアで、同じ熱量で並ぶ。基準は価格でも知名度でもなく、川久保玲とジョフィが「面白い」と判断したかどうか。それだけだ。

売り場の内装も文法の外にある。ブランドごとの什器は各デザイナーが自ら作り込み、店内には現代アートのインスタレーションが混ざる。店なのに、歩く体験はギャラリーや街歩きに近い。棚の一つひとつが「なぜこれとこれが隣にあるのか」という問いを発してくる。DSMを歩くことは、川久保玲の編集意図を読むことなのだ。

起源|ケンジントンマーケットの記憶から生まれた(2004)

1号店は2004年9月10日、ロンドン・メイフェアのドーバーストリート17-18番地に開店した。店名はこの通りの名前から来ている。かつて現代美術の拠点ICA(現代美術研究所)が入っていた建物、という出自も暗示的だ。

コンセプトの元になったのは、40年以上イギリスのファッションの巣窟だったケンジントンマーケット。若者の露店がひしめき、パンクもグラムも古着もごった煮になっていたあの混沌を、川久保とジョフィはラグジュアリーの精度で再現しようとした。整然とした高級店ではなく、市場(マーケット)。店名に「Market」を掲げたのは、飾りではなく宣言である。なお1号店は2016年3月、同じロンドンのヘイマーケット、1912年築のバーバリー旧社屋へ移転して現在に至る。移転後も評価は揺るがず、米メディアComplexが選ぶ「世界のベストストア」で2位(2013年)に挙げられるなど、業界内の巡礼地としての地位は開店から20年を経ても変わらない。

「セレクトショップ」という言葉が軽く見える理由

日本の読者にとって、複数ブランドを扱う店といえばセレクトショップだ。BEAMSやUNITED ARROWSが築いたこの文化は世界的に見ても豊かで、日本のファッション教育の土台になってきた。ではDSMは巨大なセレクトショップなのかというと、決定的な違いが一つある。編集の主語が「バイヤーチーム」ではなく「作家個人」であることだ。

セレクトショップの品揃えは、売上データと担当バイヤーの目利きの集合で決まる。優れているが、責任は分散している。DSMの棚は違う。最終的な配合の責任を、川久保玲とジョフィという固有名詞が引き受けている。だから棚に一貫した「文体」があり、失敗もまた作風になる。小説に例えるなら、アンソロジーと長編小説の違い。DSMを歩いて感じる異様な密度は、この単独の署名から来ている。

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棚の中身|シュプリームとThe Rowが同居する場所

DSMの取扱いは、コムデギャルソンの全ラインを軸に、ハイファッションとストリートの両極へ伸びる。Supreme、Palace、Stüssy、Nikeといったストリートの王たちと、Gucci、LOEWE、Maison Margiela、The Row、Valentinoといったメゾン。そしてRick Owensやsacaiのような、両者の間に立つデザイナーズ。この配合こそがDSMの発明で、「ハイとストリートの垣根を壊す」という2010年代以降の業界全体の潮流を、売り場のレベルで最初にやってみせた

2019年の15周年企画「MONOCHROMARKET」には、A BATHING APEからBottega Veneta、KAWS、UNDERCOVERまで約60ブランドが参加した。一つの店の記念企画にこれだけの顔ぶれが集まる事実が、DSMの立ち位置を何より雄弁に語っている。

この「同居」の意味は、その後の業界の動きを見ると重みが増す。ストリート出身のヴァージル・アブローがルイ・ヴィトンのメンズを率い、シュプリームが老舗メゾンと組み、ラグジュアリー各社がスニーカーを主力商品にした2010年代後半。世界がようやく辿り着いたその場所に、DSMは2004年の開店初日から立っていた。売り場は時代の後追いではなく、予告編だったのだ。

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世界のDSM|銀座は2番目の店だった

店舗開店ひとことで言うと
ロンドン2004年(2016年ヘイマーケット移転)原点。バーバリー旧社屋の7フロア
ギンザ(東京)2012年海外1号店が銀座。日本の読者の巡礼地
ニューヨーク2013年マレーヒルの旧デザイン学校ビル
シンガポール2017年英軍兵舎跡、唯一の平屋
北京2018年I.Tとの合弁店から転換
ロサンゼルス2018年アーツディストリクトの倉庫街
パリ2024年マレ地区の17世紀邸宅。地下に展示空間

ロンドンの次に選ばれた都市が東京・銀座(2012年)だったことは、日本の読者には少し誇らしい事実だ。またロンドン、東京、パリ、LA、NYの店舗には、ローズ・カラリーニ夫妻の「Rose Bakery」が入っている。買い物の途中でキャロットケーキを食べる時間まで含めて、DSMの体験は設計されている。2019年にはパリに香水・コスメ専門の「Dover Street Parfums Market」も開いた。

初めてギンザ店に行くなら、目当てのブランドを決めて直行するより、下から上まで全フロアを一筆書きで歩くことを勧めたい。DSMの本体は個々の商品ではなく「並び」だからだ。ギャルソンの隣に何が置かれているか、無名のブランドがどれだけ大きな面積をもらっているか。その配合を読むだけで、いま業界が何に注目しているかが体感でわかる。雑誌を1年分読むより早い。

DSMのFAQ

Q. コムデギャルソンとはどういう関係?
DSMはコムデギャルソンの事業の一部で、共同創設者のエイドリアン・ジョフィは川久保玲の夫であり、ギャルソンの国際事業を率いる経営パートナーでもある。つまり「川久保が作る側、ジョフィが届ける側」という夫婦の分業が、ブランドと店の両方を動かしている。

Q. 何を買いに行く場所?
コムデギャルソン系列の全ライン(ここでしか揃わない規模)、DSM限定のコラボアイテム、そして「まだ誰も知らないブランド」との出会い。川久保とジョフィは無名の若手を大きく扱うことで知られ、DSMの棚に載ること自体が新人デザイナーの登竜門になっている。限定コラボはSupreme、Nike、Stüssy、Gucciといった常連との企画が多く、新店舗の開店や周年の節目に集中して投下されるので、狙うなら節目の時期の情報を追うのが効率的だ。

Q. 似た店は他にない?
文脈の先輩としては、ミラノの10 Corso Comoやパリのcolette(2017年閉店)が挙げられる。ただし現役デザイナー、それも川久保玲級の作家が自ら編集する店は他にない。「デザイナーのセレクトショップ」ではなく「作品としての店」はDSMだけだ。

Q. 買わなくても行っていい?
行くべきだ。DSMは入場無料の現代美術館として機能する。特に銀座店は、モードに興味を持ち始めた人が「本物の空気」を浴びられる、日本で数少ない場所のひとつになっている。何も買えなくても、世界最高の編集者が組んだ棚を無料で読める。買える日が来る前に、見る目だけ先に育てておく。それができる場所は、実はほとんど残っていない。

ここだけの話|川久保玲の「服ではない作品」

川久保玲は服で常識を壊し続けてきた人だが、DSMはその川久保が売り場という素材で作った作品だと考えるとわかりやすい。ECの便利さに実店舗が負け続けるこの20年、世界中の小売が「どうすれば来てもらえるか」に苦しんできた。DSMの答えは割引でも品揃えでもなく、「ここでしか成立しない編集」だった。

そして、この店の本当の顧客は買い物客だけではない。棚に選ばれたい若手デザイナー、配合を盗みたいバイヤー、次のコラボを狙うブランド。業界全体がDSMを見ている。sacaiの阿部千登勢のように、DSMが早くから推したデザイナーが世界的な存在になっていく様子は、この店が単なる小売ではなく才能の予言装置であることの証明だ。売り場は、読める人にとっては未来のファッション誌である。

もうひとつ。DSMには「完成」がない。売り場は定期的に大規模に組み替えられ、行くたびに別の店になっている。服のコレクションが毎シーズン更新されるように、店そのものが更新され続ける。つまりDSMは建物ではなく、川久保玲の現在進行形の思考なのだ。閉店した名店coletteが伝説として語られる一方、DSMがいまも現役で在り続けているのは、この「終わらせない設計」の勝利だと思う。

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まとめ

  • Dover Street Marketは2004年、川久保玲と夫エイドリアン・ジョフィがロンドンに開いたセレクトショップ。コンセプトは「美しいカオス」
  • 原型は若者文化の巣窟ケンジントンマーケット。価格や格の序列を捨て、「面白いかどうか」だけで棚を編集する
  • ハイファッションとストリートを同じフロアに並べ、2010年代の業界全体の潮流を売り場レベルで先取りした
  • 海外1号店は2012年の銀座。現在はNY、シンガポール、北京、LA、パリを含む世界7都市に展開する
  • DSMは店の形をした川久保玲の作品であり、新しい才能の予言装置でもある