略歴
1914年 | スペイン出身のクリストバル・バレンシアガにより創立。 |
1937年 | スペイン内戦の影響でスペインからパリへ移転。 |
1968年 | クリストバルバレンシアガ死去。 |
1998年 | グッチグループに買収される。ニコラゲスキエールがチーフデザイナーに就任。 |
2006年 | バレンシアガジャパンが創立。 |
2010年 | ニコラが初の香水展開。以降、毎年つくられ続けている。 |
2011年 | グッチグループ解散。PPRラグジュアリーグループに保有される。 |
2013年 | デザイナー交代でアレキサンダーワンが就任。ケリンググループの傘下となる。 |
2014年 | 日本初の路面店、旗艦店として青山店がオープン。 |
2015年 | デザイナー交代でデムナヴァザリアがアーティスティックディレクターへ就任。 |
特徴
元々、オートクチュールから始まったブランドであり、美しいシルエットのプロダクトは「完璧」と評される。
元々はエレガンスやモードといった系統に属していたが、2010年代には現在まで莫大な人気を誇る「ダッドスニーカー」の火付け役となり、ストリートなアイテムも多く展開されている。
また、2020年代においてはデムナの挑戦的なプロダクトが度々話題を呼び、近年のSNSやブランドネームに対して大きく影響をうける若者ファッションシーンへのアンチテーゼとも噂されるが、真相は定かになっていない。
デザイナーについて
クリストバルバレンシアガ
一人で服作りの全てをこなす鬼才であり、「クチュール界の建築家」として名高い。
当時の女性服はコルセットやパッドなどで体型を矯正し着る風習であったが、クリストバルは敢えてゆったりとした女性服を提案しそれまでの風習を一蹴した。
ニコラゲスキエール
ファッション学校等の正規教育を受けていないが、卓越したそのセンスと彼自身の直向きさにより、26歳という若さでバレンシアガのデザイナーに抜擢される。
圧倒的な人気を誇るバッグやシューズも、彼が2001年に展開を広げたことが大きく起因している。
2002年にはメンズラインも展開しバレンシアガを救ったデザイナーと評されている。
アレキサンダーワン
彼もニコラと同じくファッション教育機関を通っていないが、幼い頃からファッション雑誌に夢中であり母親へファッション画を描いたり、兄の結婚式では兄嫁のために35着のドレスをデザインし初のファッションショーを行うなどファッションへの興味が非常に強い性格である。
自身の名を冠したブランド「アレキサンダーワン」では刺々しく男性らしいデザインが特徴であり、彼がバレンシアガに就任していた期間はその特徴が色濃く反映されたコレクションであった。
デムナヴァザリア
彼は国立の大学を卒業したのちにアントワープへ入学し、2006年にファッションデザイン学科修士課程を卒業している。
2009年にマルジェラのレディースデザイナーとしてキャリアをスタートし、2013年にはルイヴィトンのウィメンズでシニアデザイナーに抜擢されている。
2014年、「ヴェトモン」を設立し翌年の2015年にバレンシアガのアーティスティックデザイナーに就任。
上記の通り2006年以降さまざまな環境に身を置いた彼のデザインするコレクションは挑戦的で毎度話題必至のものである。
コメント