1990年代のランニングシューズが、ある日パリのランウェイに現れた。ぼってりしたフォルムで「醜い」とされていたOzweegoに、ベルギー生まれのコンセプチュアルなデザイナーが「読める物体」としての価値を吹き込んだのだ。Raf Simons × adidasは、2013年秋冬のパリコレクションで始まった協業である。ランウェイに登場したのはOzweego 1・Ozweego 2・Terrex・Response Trailの4型。90年代のダサいランニングシューズを再提示したこの瞬間から、のちのダッドスニーカーブーム、そしてデザイナーズブランドとスポーツブランドの協業が当たり前になった現在。その源流のひとつが、この組み合わせにある。
スニーカーを「読むもの」に変えた
2013年当時、スニーカーはスポーツの道具か、ストリートの記号だった。ラフはそこに第三の役割を持ち込む。参照と文脈で読み解く対象としてのスニーカーである。自身のブランドで培ってきたユースカルチャーへの視線、レイヴやニューウェーブの記憶、未来と退廃が同居する造形。それらがadidasの技術基盤の上に載った。
特にOzweegoの再解釈は、当時「醜い」とされていた90年代のぼってりしたフォルムを美学の中心に据えた点で早かった。数年後に世界を覆うダッドスニーカー/アグリースニーカーの潮流を、ラフは先取りしていたことになる。
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Stan Smith|白いキャンバスに「R」を刻む
協業が大衆に届いたのは2014年、Stan Smithの再解釈からだ。1971年生まれの「世界一シンプルなテニスシューズ」の側面に、パンチングで「R」のイニシャルを開ける。ロゴを貼るのではなく、穴で署名する。最小の介入で最大の記号性を生む手口は、ミニマリストとしてのラフの真骨頂だった。単色に塗り込めたバリエーションも含め、Stan Smith RSは「デザイナーズスニーカー」という市場そのものを育てた一足である。
協業の記録
| 年 | 出来事 | ひとことで言うと |
|---|---|---|
| 2013年 | 秋冬パリコレで協業開始(Ozweego 1/2、Terrex、Response Trail) | 90年代ランニングシューズの美学的な再発見 |
| 2014年 | Stan Smith RS発表 | パンチングの「R」。協業が大衆域に届いた転換点 |
| 2014〜2019年 | OzweegoとStan Smithを軸に毎シーズン展開 | 色と素材の実験を継続。RS Ozweegoは細部を更新し続けた |
| 2019年末〜 | ラフが自身のライン「(RUNNER)」を開始 | コレクションの足元は自前のスニーカーへ。adidasとの新作は途絶える |
公式に「終了」が宣言されたことはないが、2019年末にラフが自身のスニーカーライン(RUNNER)を立ち上げて以降、協業の新作は事実上止まっている。始まりも終わりも静かだったが、残した影響は大きい。
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in the vault=ここだけの話
Raf × adidasの本当の発明は、スニーカーのデザインではなく「デザイナーの署名でスニーカーの値段と意味が変わる」という市場の発見だった。この回路が開通したからこそ、後のKanye West × adidas(Yeezy)も、Rick Owensのスニーカーも、無数のデザイナー協業も商売として成立した。
そしてもうひとつ。ラフがOzweegoで示した「ダサさの中の未来」という美学は、彼の弟子筋や信奉者を通じてストリート全体に浸透した。いま古着屋でRS Ozweegoの中古価格を見れば、この協業が「終わった企画」ではなく「教科書」として扱われていることがわかるはずだ。
まとめ
- Raf Simons × adidasは2013年秋冬パリコレで開始。Ozweegoら90年代シューズの再解釈から始まった
- 2014年のStan Smith RS(パンチングの「R」)で大衆域に到達。デザイナーズスニーカー市場を育てた
- 2014〜2019年に毎シーズン展開後、ラフ自身の(RUNNER)開始とともに事実上終了
- 最大の遺産は「デザイナーの署名がスニーカーの意味を変える」という市場構造そのもの。ダッドスニーカーブームの先取りでもあった