ISSEY MIYAKE(イッセイ ミヤケ)は、ただのファッションブランドではない。
“服とは何か”という問いを、テクノロジーとアートを使って解釈を表現している。
ミニマルで機能的。けれど温かくて、人の体に寄り添う。
そのバランス感覚は、流行やトレンドを超えて、日々の生活に静かに、でも確かにそこに在る。
本記事では、ISSEY MIYAKE の歴史から代表作、そしてデザイン哲学まで、ブランドを深く理解するためのポイントを丁寧に紐解いていきます。
創業者 三宅一生 ― “一枚の布”から始まった挑戦
ISSEY MIYAKE の出発点は、創業者・三宅一生の明確な願いでした。
「衣服は、人を包むためのもの。自由で、心地よくあるべきだ。」
三宅一生は、1940年広島生まれ。
パリで世界のファッションデザインを学んだ後、1970年に「三宅デザイン事務所」を設立。
その後、ニューヨーク、東京へと視点を広げ、技術と文化を行き来しながら “誰も見たことのない衣服” を探求していきます。
彼が一貫して掲げたキーワードは “One Piece of Cloth(ワンピース・オブ・クロス)=一枚の布”。
布を切り刻むのではなく、布の存在を尊重したまま、体の動きを最大限生かす。
その思想が、のちの革新的なプロジェクトへつながっていきます。
革新的コレクション ― 技術が服になる瞬間
Pleats Please(プリーツプリーズ)― 動くための服
ISSEY MIYAKE を語る上で欠かせないのが 「Pleats Please」 です。
プリーツ=折り目をつけた服は世に多くありますが、三宅一生が生んだプリーツは、従来の概念とはまったく異なります。
“生地を縫ってからプリーツ加工する”
という逆転の発想で、軽く、シワになりにくく、動きに合わせて表情を変える服が誕生。
日常着としての利便性と、アート作品のような造形美。
両立するはずのない二つをつないだコレクションは、今なお世界中にファンが絶えません。
A-POC(A Piece of Cloth)― 一本の糸から服ができる未来
A-POC(エイ・ポック)は、テキスタイル産業を根本から見直した実験プロジェクト。
コンピューター制御された機械で 一本の糸から服を“編み出す” ようにして生み出されるこのシリーズは、
縫製を最小限にとどめ、廃棄も少ない画期的な仕組みでした。
サステナブルという言葉が一般化する前から、三宅一生は“未来の服の作り方”を現実にしようとしていたのです。
Bao Bao Bag ― 三角が生む建築的デザイン
街で見かけるとすぐにわかる、光の粒のようなバッグ。
それが Bao Bao(バオバオ) です。
小さな三角パネルが並び、触れると柔軟に形を変える構造は、まるで建築とプロダクトデザインの融合。
実用性と斬新さを兼ね備え、ファッションアイテムとしてもアートピースとしても愛されています。
香水 ― “水”を香りで表現した L’Eau d’Issey
ISSEY MIYAKE の世界観を象徴するもう一つの重要な領域がフレグランスです。
1992年に登場した L’Eau d’Issey(ロー ド イッセイ) は、今なお世界的ベストセラー。
香りのテーマは 「水」。
“清らかで普遍的なものを、香りとして形にする” という挑戦から生まれたこの作品は、
日本的な静けさと透明感を持ち、多くの人の記憶に残る香水となりました。
メンズの L’Eau d’Issey Pour Homme も、爽やかさと深みのあるウッディ調で、幅広い層に支持されています。
ブランドの服が“自由に動くためのデザイン”なら、
香りは“本質に寄り添うためのデザイン”。
どちらにも、三宅一生の美意識が脈打っています。
現在の ISSEY MIYAKE ― 受け継がれる精神と進化
2022年に三宅一生がこの世を去った後も、ブランドは止まっていません。
むしろ、複数のデザインチームがそれぞれの解釈で進化を続けています。
近年のコレクションでは、
- 機能性
- 柔らかさ
- 立体構造
- 色彩の遊び
といった要素が新たなかたちで表現され、ISSEY MIYAKE の“自由”は継承されています。
三宅一生の名は消えても、思想はブランドの隅々に息づいているのです。
生活に静かに寄り添う“革新”という美
ISSEY MIYAKE は、“すごいデザイン”を見せるブランドではありません。
“生活をすこし自由にするデザイン” を探求し続けているブランドです。
派手ではないのに印象に残る。
シンプルなのに、奥行きがある。
時代が変わっても、色褪せない。
だからこそ、今 ISSEY MIYAKE を知る価値があるのです。




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