服には、本来ひとつの正解があるはずだった。シャツはシャツであり、ニットはニットである。前から見ても後ろから見ても、それは同じひとつの衣服であるはずだった。
sacai(サカイ)は、その「あるはず」を静かに裏切るブランドである。
一枚のなかに、相容れないはずのふたつが同居している。表はシャツに見え、回り込むとスウェットが現れる。ニットの裾から、ふいに別布のプリーツがこぼれ出す。矛盾を解消せず、矛盾のまま着られる形にする。それが、デザイナー阿部千登勢(あべ・ちとせ)が四半世紀かけて磨いてきた手つきである。
本稿では、sacaiというブランドの成り立ち、阿部千登勢の経歴、そして「ハイブリッド」と呼ばれる核を、確かな事実に基づいて整理する。
sacai 基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ブランド名 | sacai(サカイ) |
| 設立 | 1999年 |
| デザイナー | 阿部千登勢(Chitose Abe) |
| 創業の地 | 日本(自宅から、ニットウェアで開始) |
| 拠点 | 東京 |
| ブランド名の由来 | 阿部の旧姓「坂井(Sakai)」より |
| 象徴するもの | ハイブリッド(異素材・異アイテムの接合/再構築) |
| パリ初ランウェイ | 2011年9月(パリ) |
ブランド名「sacai」は、阿部の旧姓「坂井」に由来する。夫でブランド「kolor」を手がける阿部潤一の発案で、二つのブランド名は「c」と「k」が入れ替わる関係になっている、という逸話もよく知られている。
sacai in Brief(English Summary)
sacai is a Japanese fashion brand founded in 1999 by designer Chitose Abe. Born in Gifu in 1965, Abe honed her craft as a pattern-maker at Comme des Garçons and later worked with Junya Watanabe before launching sacai at home with just five hand-knitted pieces. The brand’s signature is “hybridization”: splicing contrasting garments and fabrics—knit and woven, tailoring and sportswear—into a single piece while keeping each element’s identity intact. After a lookbook in 2008 and a presentation in 2010, sacai staged its first Paris runway show in September 2011, drawing international attention. Its acclaimed collaborations include Nike, Dior under Kim Jones (2021), Jean Paul Gaultier couture (2021), and Carhartt WIP.

阿部千登勢という人
阿部千登勢は1965年、岐阜県の生まれ。母は縫い子であり、幼い頃から布と針の近くで育ったという。
服づくりの土台を築いたのは、コム デ ギャルソンでの時間である。彼女はパタンナー(型紙を引く職人)としてこの場に身を置き、その後、ジュンヤ・ワタナベが自身のレーベルを立ち上げた際にも、パタンナーとして関わった。デザインの華やかな表面ではなく、服の構造そのもの、どこで布を裁ち、どう縫い合わせれば立体が生まれるかを、彼女は身体で覚えていった。後年のsacaiの強さが「構造」にあるのは、この出自と無縁ではない。
1997年、妊娠を機に一度仕事を離れる。そして1999年、わずか五枚の手編みのニットからsacaiは始まった。趣味店で買った毛糸を素材に、自宅で一着ずつ手を動かす。華々しい資本も大きな工房もない、静かな出発だった。
ブランドが世界の視線を集めたのは、パリでの発表を重ねてからである。2008年にルックブック、2010年にプレゼンテーション、そして2011年9月、パリで初のランウェイショーを行った。この本格的なショーを後押ししたのは、伝説的パリのセレクトショップ「コレット」を率いていたサラ・アンデルマンだったと伝えられる。多くの日本人デザイナーがそうであったように、この瞬間が西側のバイヤーとプレスを本格的に振り向かせる転機となった。
sacaiの核「ハイブリッド」とは
sacaiを一語で言うなら「ハイブリッド」である。
それは、二つの異なるものを一着のなかで接合する手法を指す。ニットと薄手の織物。テーラードジャケットとミリタリーブルゾン。フォーマルとスポーツ。本来は別々の文脈に属する素材やアイテムを、阿部はパターンの再構築によって一枚の衣服に縫い合わせる。
重要なのは、ここで二つの要素が「混ざって溶ける」のではないことだ。混ぜて中間色をつくるのではなく、両者の輪郭を残したまま隣り合わせる。だからsacaiの服は、見る角度によって表情が変わる。正面の顔と背面の顔が違う。その緊張感こそが、このブランドの署名である。
代表的なコラボレーション
sacaiは、相手の遺産を尊重しながら自らの構造を重ねる「対話型」のコラボレーションで知られる。確認できる主な協業を挙げる。
| 相手 | 内容・時期 |
|---|---|
| Nike(ナイキ) | LDワッフル/ヴェイパーワッフル等のハイブリッドスニーカー。LDワッフルとブレザーは2019年春夏(SS19)のsacaiランウェイで初披露され、その後一般発売へ。ヴェイパーワッフルなどへ展開が続いた |
| Dior(ディオール) | キム・ジョーンズ率いるディオール メンズとの初の共同コレクション(2021年)。ロゴの「i」の中にsacaiの名を組み込む遊びも話題に |
| Jean Paul Gaultier(ジャン ポール ゴルチエ) | 2021年7月、パリ オートクチュールにて、ゴルチエ引退後の同メゾン初のゲストデザイナーとしてクチュールを手がけた |
| Carhartt WIP(カーハート ダブリューアイピー) | 2023年以降、複数回にわたりカプセルコレクションを発表。ワークウェアの実直さとsacaiの構築美を接合 |
※コラボの内容や時期は本稿執筆時点で確認できた情報に基づく。年号・名称は今後の発表で更新され得る。
よくある質問(FAQ)
Q1. sacaiは何と読みますか?どんな意味ですか?
「サカイ」と読む。デザイナー阿部千登勢の旧姓「坂井(Sakai)」に由来するブランド名である。
Q2. デザイナーは誰ですか?
阿部千登勢(Chitose Abe)。1965年、岐阜県生まれ。コム デ ギャルソンでパタンナーを務め、ジュンヤ・ワタナベのレーベルにも携わったのち、1999年にsacaiを立ち上げた。
Q3. sacaiの「ハイブリッド」とは何ですか?
ニットと織物、テーラードとスポーツなど、本来は別々のアイテム・素材を一着のなかで接合する手法を指す。両者を溶け合わせず輪郭を残すため、見る角度で表情が変わるのが特徴である。
Q4. どんなブランドとコラボしていますか?
ナイキ(LDワッフル等のスニーカー)、ディオール メンズ(キム・ジョーンズ、2021年)、ジャン ポール ゴルチエ(2021年のクチュール)、カーハート WIP などとの協業が知られる。相手の文脈を残したまま自らの構造を重ねる姿勢で一貫している。
日本の前衛が世界に問いかけてきたものを、別の角度から見たいなら、上の一本も合わせて読みたい。
VAULTが見るsacaiの本質
sacaiの面白さは、「壊す」ことではなく「足し算で増やす」ことにある、とVAULTは見る。
阿部千登勢の出自であるコム デ ギャルソンが、服を一度解体し、欠落や歪みのなかに美を見出す「引き算」と「破壊」の美学だったとすれば、sacaiはその逆を行く。シャツも、ニットも、ブルゾンも、どれも捨てない。すべてを残したまま、一着のなかに同居させる。だからsacaiの服には喪失感がない。むしろ「全部ほしい」という現代の欲望に、そのまま形を与えているように見える。
そしてこの「足し算の論理」は、コラボレーションにおいても一貫している。相手の名前や記号を消して自分色に染めるのではなく、相手の文脈を残したまま、そこにsacaiの構造を接ぎ木する。ナイキのランニングシューズも、ディオールのテーラリングも、相手の顔を保ったままsacaiの文法に取り込まれる。誰かを上書きするのではなく、二つを共存させる。それは衣服の手つきであると同時に、他者との向き合い方そのものでもある。sacaiが静かに普遍的なのは、そのためだ。




