ジャケット1着が20万円前後。広告は打たず、発売日も予告せず、公式サイトに突然並んで数分で消える。ACRONYM(アクロニウム)は、テックウェアと呼ばれる潮流の頂点に立つブランドだ。ただし本人たちは自らを「ファッションブランド」とすら名乗らない。公式サイトの肩書きは「Apparel and systems design(衣服とシステムの設計)」。服を作っているのではなく、着る人の動きを設計している。この一点がわかると、あの異様な値段も、カルト的な信奉者の存在も、すべて筋が通って見えてくる。

ACRONYMは「服」ではなく「都市を移動するためのシステム」である

ACRONYMのジャケットには、通常のアウターにはない仕掛けが張り巡らされている。荷物を身体に固定する特許取得のギア携行システム。外から見えない位置に配置された多数のポケット。片手で瞬時に脱ぎ着するための機構。GORE-TEXをはじめとする最高グレードの防水素材。どれも「かっこいいから」ではなく、両手を塞がず、立ち止まらず、天候に関係なく都市を移動するという目的から逆算されている。

だからACRONYMの服は、スペック表で語り尽くせない。設計思想はソフトウェアに近く、実際に新型ジャケットの機能は動画で「操作方法」として解説される。服に取扱説明書が要る、と聞いて笑うか身を乗り出すか。そこがこのブランドの入口で読者が二手に分かれる場所だ。

エロルソン・ヒューという人物|建築家の家に生まれた「機能」の信奉者

設計者のエロルソン・ヒューは1971年、カナダ・エドモントン生まれ。中国系ジャマイカ人の移民の家庭に育ち、父は建築家、母はインテリアデザイナーという「設計する家族」の出身だ。1989年にトロントへ移りライアソン大学でファッションデザインを学んだのち、パートナーのミヒャエラ・ザッヘンバッハーの故郷ドイツ・ミュンヘンへ渡る。

1994年、二人はACRONYMを設立する。ただし最初はブランドではなく、スポーツウェア企業に機能服のノウハウを提供するデザインエージェンシーとしてだった。他社の裏方として技術を磨き込んだ約8年間が、のちの異常な完成度の土台になる。現在の拠点はベルリン。ヒュー自身が毎日ACRONYMを着て生活し、自分の身体で不具合を洗い出す。業界で「ワンマン研究開発ユニット」と評される所以だ。

海外メディアには「ファッションのラスボス」と題した人物特集まで存在する。表舞台の派手さではなく、テックウェアという領域の最深部に居座り続ける者への敬称として、これほど的確な言葉もない。武道で鍛えた身のこなしでジャケットの機構を実演する動画は、新作のたびにファンの間で回覧される名物になっている。

Kit-1(2002)|ジャケットにサウンドトラックが付いてきた

ACRONYMが自社製品を初めて世に出したのは2002年。「Kit-1」と名付けられた120セット限定のこのデビュー作は、ファッション史でも類例がない構成だった。中身は、ジャケットとバッグに加えて、サウンドトラックCD、ソフトウェア、コンセプトアートを収めたカタログ。服単体ではなく、世界観ごとパッケージした「キット」として売られたのだ。

服をプロダクトではなく体験として設計するこの発想は、20年後のゲームやアニメとの親和性を先取りしていた。サイバーパンクの美学、ミリタリー由来の精密さ、最新素材。テックウェアという言葉が生まれるはるか前に、その完成形を一度に提示していたことになる。テックウェア全体の見取り図は、こちらの記事にまとめてある。

Cultureテックウェアとは何か|STONE ISLAND・ACRONYM・ARC’TERYXの違いから読み解く機能服の進化READ MORE

外部仕事の系譜|Stone IslandからNikeまで、裏方としてのACRONYM

ACRONYM本体が少量生産を貫く一方、ヒューの設計思想は外部ブランドを通じて大量生産の世界にも流れ込んでいる。主要な仕事を整理する。

プロジェクト期間ひとことで言うと
Stone Island Shadow Project2008年〜ストーンアイランドの先鋭ライン。カルロ・リヴェッティとの対話から誕生
NikeLab ACG2014〜2018年Nikeのアウトドア部門ACGを都市向けに再発明。テックウェアを世界に拡散させた
Herno Laminarイタリアの老舗アウターHernoの機能ライン
Nikeスニーカーコラボ2015年〜Lunar Force 1、Presto Mid等。ACRONYM×Nikeは即完売の定番に

特にNikeLab ACGの4年間は、ACRONYMの美学(黒、立体裁断、都市機能)をグローバルブランドの流通に載せた出来事で、2010年代後半のテックウェア流行の直接の引き金になった。ストーンアイランドとの関係については、本体ブランドの記事で素材開発の文脈から書いている。

BrandSTONE ISLAND(ストーンアイランド)とは?|素材の探究が服を「動く実験」に変えたイタリアの航海者READ MORE

デス・ストランディング|小島秀夫が着るジャケット

ACRONYMの名を(服に興味のない層にまで)広げたのが、ゲームクリエイター小島秀夫との関係だ。2020年、ACRONYMはコジマプロダクションズと組み、ゲーム『DEATH STRANDING』の世界観を落とし込んだ公式ジャケット「J1A-GTKP」を発売した。アートディレクションは新川洋司。約1,900ドルという価格にもかかわらず、即完売している。

小島本人が日常的にACRONYMを着てメディアに登場することもあり、ゲーム・アニメ圏とテックウェアの結びつきは、いまやこのブランドを語る上で欠かせない文脈になった。「近未来の装備」としての服。Kit-1でサウンドトラックを付けた2002年の発想が、20年越しにゲームの側から回収されたとも言える。

広告ゼロ・ショーなし|売り方そのものが設計されている

ACRONYMはパリコレに出ない。シーズンごとのテーマも、キャンペーン広告も、アンバサダー契約もない。新作は公式サイトに突然現れ、告知はSNSの素っ気ない投稿程度。ファッションビジネスの常識から見ると営業活動をほぼ放棄しているに等しいが、それでも売り切れる。製品の完成度だけを流通させ、それ以外の演出を全部削る。この売り方自体が、ブランドの設計思想の延長にある。

面白いのは、公式が語らない分をコミュニティが埋めていることだ。歴代の型番・素材・発売年を網羅したファンメイドのアーカイブ、着用機構を検証する動画、購入報告のフォーラム。情報の整理と布教を信奉者たちが自主的に担う構図は、ストリートブランドのハイプとも、メゾンの権威とも違う。どちらかと言えば、良くできたオープンソースソフトウェアの周りに開発者コミュニティが育つ様子に近い。服からサウンドトラックまで自分たちで作ったKit-1のDIY精神は、四半世紀経った今、受け手の側に伝染している。

この構図には先例がある。広告を打たずに口コミと実物の説得力だけで最強になったブランドを、このサイトでは既に一つ書いている。手法は違えど、Chrome Heartsが取った戦略と比べて読むと、「語らないブランド」の強さの正体が見えてくる。

BrandChrome Hearts(クロムハーツ)とは?|B級映画の仮タイトルから始まった、広告なしで最強になったブランドREAD MORE

ACRONYMのFAQ|型番の読み方と買い方

Q. 「J1A-GT」のような型番はどう読む?
ACRONYMの製品名は、カテゴリを示すアルファベット(Jはジャケット、Pはパンツ等)と番号、それに素材コード(GTはGORE-TEX等)の組み合わせでできている。車や工業製品の型番と同じ思想で、ここにも「服ではなくプロダクト」という態度が表れている。

Q. どこで買える?
基本は公式サイト(acrnm.com)でのオンライン販売と、世界でもごく限られた取扱店のみ。新作は予告なく追加され、人気型番は短時間で売り切れる。国内では並行・二次流通価格が定価を大きく上回ることも多い。二次流通で買う場合は、型番と製造年を照合できる知識を先に付けてからのほうが安全だ。

Q. 高すぎる。入口はある?
思想だけ先に体験するなら、ヒューが手掛けた外部仕事(Stone Island Shadow ProjectやNike ACG期のアーカイブ)が現実的な入口になる。設計の一部は共通しており、価格は本体よりずっと近づきやすい。

ここだけの話|「機能」とは防水のことではない

テックウェアという言葉は、しばしば「防水で、ポケットが多くて、黒い服」に矮小化される。だがヒューの言う機能は、素材のスペックのことではない。着ている人間の自由が増えるかどうかのことだ。バッグを持たずに手ぶらで動ける。雨予報を確認せず家を出られる。満員電車で腕を上げてもジャケットが突っ張らない。ACRONYMが売っているのは撥水性ではなく、この小さな自由の総量である。

だから、ACRONYMのコピーを安価に量産した「テックウェア風」の服と本物を分けるのは、生地のグレードではない。動きから逆算して設計されているか、黒くて未来的な「見た目」だけを写したか。この違いは着た瞬間の可動域に出る。服の機能とは何かという問いに、ここまで潔癖に答え続けているブランドは他にない。

まとめ

  • ACRONYMは1994年にエロルソン・ヒューとミヒャエラ・ザッヘンバッハーが設立。自称は「衣服とシステムの設計」で、服を都市移動のためのシステムとして作る
  • デビュー作は2002年の「Kit-1」。ジャケットにサウンドトラックとソフトウェアが付属する120セット限定のパッケージだった
  • Stone Island Shadow Project(2008〜)とNikeLab ACG(2014〜2018)を通じて、テックウェアの世界的流行を裏側から作った
  • 小島秀夫『DEATH STRANDING』公式ジャケットJ1A-GTKP(2020)は約1,900ドルで即完売。ゲーム圏との接続はブランドの重要な文脈
  • ACRONYMの「機能」はスペックではなく、着る人の自由の総量を指す