1987年、ベルリン。ある一人のイタリア人デザイナーが、生涯で一度だけファッションショーを開いた。展示されたのは、ランウェイでモデルが着る服ではなく、2枚のガラスに挟んで標本のように陳列された服そのものだった。マッシモ・オスティ。C.P. CompanyとSTONE ISLANDという2つのブランドを生んだ男は、服を見せる作法さえ、既存のファッション業界とは違う場所から発想していた。このサイトではSTONE ISLANDをブランドとして解説済みだが、この記事はその前史であるC.P. Companyと、両ブランドの父オスティ本人の仕事を追う。
マッシモ・オスティは「デザイナー」ではなく「素材の研究者」だった
オスティのキャリアを理解する最初の一歩は、彼が服飾学校ではなくグラフィックデザインの出身だったという事実だ。服の形を先に考える教育を受けていない人間だからこそ、彼は服作りの手順そのものを疑うことができた。デザインを先に決めず、素材と加工の実験から始めて、そこから形を立ち上げる。この逆転した手順こそ、C.P. CompanyとSTONE ISLANDの両方に共通する、オスティという人物の背骨である。
「軍服の翻訳者」という仕事
オスティの手法をもう一段具体的に言うと、軍用品や作業着といった「実用の権化」を仕入れ、分解し、なぜその形になっているのかを理解した上で、都市生活者のための服に翻訳するという作業だった。軍服のポケットの位置、作業着の補強縫製、レース用ウェアの機能性。これらは元来ファッションのために設計されたものではない。オスティはその「機能ゆえの美しさ」を見抜き、都市のカジュアルウェアという文脈に移植する仲介者の役割を果たした。この手法は、のちの世代のテックウェア系デザイナーたちが繰り返し参照する、一つの型になっている。
Chester PerryからC.P. Companyへ|1971年の出発
1944年、イタリア・ボローニャに生まれたオスティは、1971年、カジュアルウェアブランド「Chester Perry」を立ち上げる。1978年、このブランドはC.P. Companyへと名前を改める。名前の変遷自体、まだ何者でもなかった一人のデザイナーが、少しずつ自分の方法論を確立していく過程を物語っている。
C.P. Companyの時代、オスティは軍用サープラス(払い下げ品)を研究し、機能のために生まれた形を、ファッションとして再解釈する手法を磨いていった。ガーメントダイ(縫い上げたあとの製品を丸ごと染める技法)、スクリーンプリント、デクパージュ(切り絵的な素材の組み合わせ)。のちにSTONE ISLANDの代名詞になる技術の多くは、実はC.P. Companyの実験室から生まれている。
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ゴーグルジャケット|日本の民間防衛用フードから着想を得た一着
C.P. Companyを代表する一着が、1988年に発表された「ゴーグルジャケット」だ。イタリアの伝統的な公道レース「ミッレミリア」の参加者・関係者向けに開発されたこのジャケットは、フードに色付きのレンズが後付けではなく構造として直接組み込まれているという、当時としては前例のない仕掛けを持っていた。左袖には時計を確認できる小窓まで縫い込まれている。
このレンズの着想源が興味深い。オスティは日本の民間防衛用フードに組み込まれたレンズの構造を見て、それをファッションの機能美として再構築したと言われている。イタリアの自動車レース文化と、日本の防災装備。まったく縁のない二つの実用品が、一人のデザイナーの手の中で一着のジャケットに合流した。この「遠く離れた実用品の翻訳」こそ、オスティの仕事の本質を最もよく表すエピソードだ。
ゴーグルジャケットが生まれた背景には、レース運営側の事情もある。1987年頃、復興版として再開されたミッレミリアは往年の観客動員を取り戻しつつあり、過酷なコースを走るドライバーたちのための丈夫なウェアを提供できるスポンサーを探していた。運営側が目を向けた先が、実用と美しさを同時に満たせる数少ない作り手だったオスティだったのは、必然に近い流れだろう。
1987年、ベルリン|生涯唯一のファッションショー
オスティは、通常のファッションショーという形式に懐疑的だった。ランウェイでの数分間の披露は、素材と加工にかけた長い研究の過程を正当に伝えられないと考えていたためだ。そのため彼は、キャリアを通じてほとんどショーを行わなかった。
唯一の例外が、1987年9月19日、西ベルリン市の招待で開催された展覧会だった。オスティのキャリア15周年、ベルリン建都750周年、そしてドイツの既製服産業150周年を祝うこの催しで、彼は75点の作品を2枚のガラスに挟んで標本のように展示するという、当時のファッション界では前例のない手法を披露した。会場ではゴーグルを着けた男たちが、オスティが想定した「日常での服の使われ方」を無言劇で演じてみせたという。ランウェイを拒んだ男が唯一開いたショーが、服を「着るもの」ではなく「観察対象」として提示する展覧会だった。この一貫性こそ、彼が単なる人気デザイナーではなく、思想を持った研究者だったことの証明である。
同時代のロンドンでは、Bodymapのようなブランドがダンサーの舞台演出とランウェイを融合させる実験を行っていたが、オスティの選択はさらに徹底していた。動きさえも「モデルが着て見せる」という前提を外し、日常の使われ方を無言劇で示す。ショーという形式そのものを疑い続けた末に辿り着いた、彼なりの答えがこの一夜だった。
STONE ISLANDの誕生と、1994年の退場
C.P. Companyでの実験を土台に、1982年、オスティはより機能に特化したブランドSTONE ISLANDを立ち上げる。詳しい成り立ちは既存記事に譲るが、ここで押さえておきたいのは、C.P. CompanyとSTONE ISLANDが兄弟ブランドであり、同じ一人の頭から生まれた双子だったという事実だ。片方は民生的なカジュアルウェアとして、片方はより実験的なテクニカルウェアとして、同時並行で走り続けた。
約20年にわたる実験と革新のキャリアの末、オスティは1994年、両ブランドから離れる。「都市型イタリアン・スポーツウェアの父」という評価は、この退場のあとにいっそう定着していった。一人の人間が同時に育てた二つのブランドが、退場後もそれぞれ別々の道で生き続けている事実は、彼の方法論そのものが個人の才能を超えて機能する仕組みだったことを物語っている。
C.P. Company/マッシモ・オスティのFAQ
Q. C.P. CompanyとSTONE ISLANDは今どういう関係?
2000年代以降、それぞれ別の企業のもとで運営されている。STONE ISLANDは2020年にモンクレールが買収を発表し現在も現役ブランドとして展開中。C.P. Companyもオスティの設計思想を継承しながら、独立した会社として服作りを続けている。創業者は同じでも、いまは別々の道を歩む兄弟ブランドだ。
Q. オスティの遺産はどこで見られる?
彼の死後、家族や関係者によって「Massimo Osti Archive」が設立され、当時のサンプルや資料が保存・公開されている。2024年前後には、彼の功績を振り返る展覧会も複数開催されており、当時の映像や資料が改めて注目を集めている。
Q. なぜ「素材が先」という手法が今も評価される?
デザインを先に決めて素材を後から選ぶ通常の手順に比べ、素材の実験を起点にすると「見たことのない形」が生まれやすい。STONE ISLANDやテックウェア全般がいまも支持される理由の根っこには、この逆転した手順への信頼がある。テックウェア全体の見取り図は、別の横串記事にまとめている。
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ここだけの話|「見せない」ことを選んだ研究者の勝利
ファッション業界の多くの成功者が、ショーの主役として脚光を浴びることを目指す中、オスティはほぼ生涯を通じてその舞台に背を向けた。唯一開いたショーでさえ、服をガラスの標本箱に閉じ込め、モデルではなく無言劇の男たちに囲ませるという、通常の「見せ方」への静かな抵抗だった。
それでも、彼が生んだ2つのブランドは、いまも世界中の街で見かけるほどの存在になっている。脚光を浴びることを拒んだ人間の仕事が、脚光を浴びたどのデザイナーよりも広く街に浸透した。この逆説は、ファッションという業界において「見せ方」より「作り方」が最終的に勝つことがある、という稀有な証明になっている。街で見かけるコンパスのバッジやゴーグル付きフードを目にするたび、その背後にこの寡黙な研究者がいたことを思い出してもいい。
まとめ
- マッシモ・オスティは1944年ボローニャ生まれ。グラフィックデザイン出身で、素材の実験から服の形を立ち上げる逆転した手法を確立した
- 1971年に「Chester Perry」を創業、1978年にC.P. Companyへ改名。ガーメントダイ等の技術はここで磨かれた
- 1988年発表のゴーグルジャケットは、日本の民間防衛用フードに着想を得た、レンズ内蔵フードが特徴の代表作
- 1987年ベルリンでの展覧会が生涯唯一のファッションショー。服をガラスに挟んで標本のように展示するという独自の手法を披露した
- 1982年にSTONE ISLANDを設立し、1994年に両ブランドから退場。「都市型イタリアン・スポーツウェアの父」と評される