ヴァージル・アブローという名前は、Off-Whiteの創業者、あるいはルイ・ヴィトン初の黒人メンズアーティスティック・ディレクターとして語られることが多い。だがそれだけでは、この人物の本当のすごみの半分しか説明できない。彼は一人のデザイナーである以前に、複数の才能を同じ部屋に集めた「結節点」だった。A-COLD-WALL*のサミュエル・ロス、1017 ALYX 9SMのマシュー・ウィリアムズ、Fear of Godのジェリー・ロレンゾ。いま個別のブランドとして語られる才能の多くが、かつて同じ現場でアブローと机を並べていた。この記事は、ブランドの歴史ではなく、アブローという人物が誰と繋がっていたかを追う。
ヴァージル・アブローは「デザイナー」ではなく「ハブ」だった
アブローの経歴を一言で表すなら、正規のファッション教育を受けていない人間が、ファッション・音楽・アート・建築の境界を横断しながら、才能と才能を繋ぎ続けた30年、ということになる。彼自身が優れた意匠を生んだことは間違いないが、それ以上に重要なのは、彼を通過した人間が、その後それぞれ独立した山脈になったという事実だ。ブランド単体の記事では見えてこない、この「人の地図」こそが、アブローという存在の本体だと考えている。
ロックフォードの移民の子|土木工学から建築、そしてファッションへ
ヴァージル・アブローは1980年9月30日、イリノイ州ロックフォードでガーナ系移民の両親のもとに生まれ、シカゴ近郊で育った。進んだ道は美術学校ではない。ウィスコンシン大学マディソン校で土木工学の学位を取得し、その後イリノイ工科大学(IIT)で建築学の修士号を取った。IITのキャンパスには、建築家レム・コールハースが手がけた建物があり、この環境との接触が、彼のファッションへの関心の始まりになったとされている。
橋や建物の構造を学んだ人間が、服の構造を疑い始める。この経路は、ストリートウェアという実用の衣服を「建築的に再構成する」というOff-White以後の一貫した手法に、そのまま繋がっている。専門教育を受けなかったことを弱みにせず、別の専門教育(工学)を武器に変えた点で、彼のキャリアは最初から「異分野からの侵入者」として設計されていた。
DONDA|カニエ・ウェストの創作エージェンシーが才能を集めた場所
2011年、アブローはカニエ・ウェストが率いる創作エージェンシーDONDAのクリエイティブディレクターに就任する。翌年、Jay-ZとカニエによるアルバムWatch The Throneのアートワークを手がけ、この仕事はグラミー賞にノミネートされた。
DONDAが特別だったのは、単なる制作会社ではなく人材の温床として機能したことだ。アブローはここで、のちにFear of Godを立ち上げるジェリー・ロレンゾ、A-COLD-WALL*を立ち上げるサミュエル・ロス、1017 ALYX 9SMのマシュー・ウィリアムズら、次世代を代表するデザイナーたちと机を並べた。カニエ・ウェストという一人の作り手の周りに、のちにそれぞれ帝国を築く才能が同時に集まっていた、という事実は、いま振り返るとほとんど神話的である。
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Been Trill|DJクルーから始まったストリートウェアの震源地
2012年、アブローはDONDAで出会った仲間たち(マシュー・ウィリアムズ、ヘロン・プレストン、ジャスティン・サンダース、フロレンシア・ガラーザ)とともにBeen Trillを結成する。始まりはDJクルーだった。彼らがイベントの物販として出した、Tumblr風のグラフィックを大胆に使ったTシャツやキャップが、瞬く間にインターネットの話題になる。音楽のクルーが、いつのまにかストリートウェアの震源地になったのがBeen Trillの正体だ。
この集団から、マシュー・ウィリアムズは自身のブランド1017 ALYX 9SMを立ち上げ、機能美とラグジュアリーストリートを結びつける仕事に進む。一人の求心力が、解散後にそれぞれ独立した才能として花開く。Been Trillは短命だったが、2010年代後半のストリート×ハイファッションの潮流の多くの「起点」を一箇所に集めていた集団として記憶されている。
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サミュエル・ロスという「最初のアシスタント」
Off-White創業後、アブローの最初のアシスタントを務めたのがサミュエル・ロスだ。ロンドン出身のロスは、アブローのもとで働いた経験を土台に、2015年に自身のブランドA-COLD-WALL*を立ち上げる。コンクリートとブリュタリズム建築を参照するロスの作風は、アブローの「工学的な視点でストリートウェアを見る」という方法論を、直系で受け継いだものだ。
師から弟子へ、そして弟子が新しい師になる。この継承の速度の早さこそが、2010年代のストリート×モードのシーンの特徴であり、アブローはその最初の震源に何度も立ち会っていた人物である。
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「17歳の自分のために」|アブローの設計思想
アブローが繰り返し語った言葉に「自分がやることはすべて、17歳の自分のためだ」というものがある。両親の世代の「ラグジュアリー」の定義と、17歳の自分にとっての「ラグジュアリー」の定義は違う。後者にとってのラグジュアリーはストリートウェアだ、という認識が、彼の設計思想の核にあった。この言葉は、Off-Whiteの引用符のグラフィックにも、ルイ・ヴィトンの虹色のランウェイにも、同じ一本の線で繋がっている。
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2019年、シカゴ現代美術館(MCA Chicago)では、彼の仕事を扱った初の美術館個展「Figures of Speech」が開催された。20年に及ぶ活動を横断するこの回顧展は、ファッションデザイナーの個展としては異例の来場者数を記録し、アブローがすでに「服を作る人」の枠を超えた存在として評価されていたことを物語っている。
ヴァージル・アブローのFAQ|人脈と系譜について
Q. Been Trillは今も存在する?
実質的に活動は終息しており、メンバーはそれぞれ独立したブランドやプロジェクトに移行している。ただし「あの時期に才能が一箇所に集中していた」という事実は、その後のストリート×モードの潮流を理解する上で欠かせない参照点として語り継がれている。
Q. カニエ・ウェストとの関係はその後も続いた?
DONDA時代の協働以降も、両者は音楽・ファッションの領域で交差を続けた。アブローのルイ・ヴィトン就任後も、互いのプロジェクトへの言及や敬意が公の場で示されている。
Q. アブローの「弟子」はロスとウィリアムズだけ?
公式に師弟関係を名乗った例は少ないが、DONDAとBean Trillを経由した人的ネットワークという意味では、ヘロン・プレストンのような周辺人物も含め、影響を受けた作り手はさらに広い。この記事で扱った2人は、ブランドとして最も明確な系譜を残した代表例である。誰と誰が同じ部屋にいたかを地図として持っておくと、それぞれのブランドを見る目つきが変わってくる。
Q. なぜ土木工学出身がファッションで評価されたのか?
専門教育を受けていないことは、既存のファッション業界の作法を知らないことと同じ意味を持つ。だからアブローは「これはなぜこう作られているのか」を、業界の常識ではなく工学的な視点で問い直せた。専門外から来た人間だからこそ見える構造の隙間を突く、という手法は、彼のキャリア全体を通じて一貫している。
ここだけの話|アブローの最大の作品は「人脈図」だったのかもしれない
Off-Whiteの引用符も、The Tenのスニーカーも、ルイ・ヴィトンの虹色のランウェイも、確かにアブローの代表作だ。だがこの記事で追ってきた人の繋がりを見返すと、もう一つの見方が浮かんでくる。彼が本当に設計していたのは、才能が出会うための部屋そのものだったのではないか。DONDA、Been Trill、Off-Whiteのスタジオ。どの場所も、アブロー個人の作品である以上に、次の世代が育つための温床として機能した。
2021年11月28日、心臓血管肉腫のため41歳で逝去した後も、この温床から育った才能たちはそれぞれの現場で仕事を続けている。一人のデザイナーの死でシーンが止まらなかったのは、彼が最初から「自分がいなくなっても機能する場所」を作っていたからだ。ブランドの寿命は創業者の寿命と一致しがちだが、アブローが残したのは人の繋がりという、もっと長持ちする資産だった。ヴァージル・アブローの最大の作品は、もしかすると一枚の服ではなく、この人脈図そのものだったのかもしれない。
まとめ
- ヴァージル・アブローは1980年イリノイ州ロックフォード生まれ。土木工学と建築を学んだ、ファッション教育を受けない異色の出自を持つ
- 2011年、カニエ・ウェストの創作エージェンシーDONDAでクリエイティブディレクターに就任。Fear of Godのジェリー・ロレンゾ、A-COLD-WALL*のサミュエル・ロス、1017 ALYX 9SMのマシュー・ウィリアムズらと同じ現場にいた
- 2012年、DJクルーとして始まったBeen Trillが、ストリートウェアの震源地に変わった
- サミュエル・ロスはOff-Whiteでの最初のアシスタント経験を経てA-COLD-WALL*を設立。師弟の系譜がそのまま次のブランドになった
- 「17歳の自分のために」という言葉が示す通り、アブローの本質はデザインより、才能が出会う場を作り続けたことにある