2016年8月2日、Calvin KleinはRaf Simons(ラフ・シモンズ)をチーフ・クリエイティブ・オフィサーに迎えたと発表した。ヨーロッパのコンセプチュアル・ファッションを体現する男が、アメリカの実用と性の美学を体現するブランドの全権を握る。期待は最大級で、結末は2年4か月後の突然の決別だった。批評の勝利と商業の敗北が、これほどきれいに分かれた例はモード史でも珍しい。その顛末を記録しておく。

205W39NYC|住所をブランド名にした宣言

ラフはまず、最上位ラインの名前を変えた。従来の「Calvin Klein Collection」を廃し、Calvin Klein 205W39NYC(ニューヨーク本社の住所(205 West 39th Street)そのまま)を新名称にした。ヨーロッパの人間がアメリカを外から眺めるのではなく、その土地の番地に立って服を作るという所信表明である。

コレクションの中身も一貫していた。ウォーホルのファクトリー、ホラー映画、カウボーイとチアリーダー、プレーリーのキルト。アメリカ文化のアーカイブを、憧れと不穏の両方を込めて引用する。「よそ者だからこそ見えるアメリカ」を服にする手つきは批評家を熱狂させ、CFDAアワードの複数受賞という形で公式に認められた。

BrandRaf Simons(ラフ・シモンズ)とは?|ユースカルチャーをモードに変えた鬼才READ MORE

なぜ2年半で終わったのか|数字が愛を裏切った

2018年12月、両者は契約期間を残して決別する。表向きは「ブランドの新しい方向性との相違」。だが実態はもっと生々しい。親会社PVHのCEOが決算説明の場で、205W39NYCの投資対効果と、ラフ主導で高級化したCalvin Klein Jeansの不振を名指しで批判したのだ。デザイナーの去就が決算発表で語られる。ラグジュアリーの論理とマスブランドの論理の衝突が、これ以上ないほど露骨に可視化された瞬間だった。

Calvin Kleinの本当の収益源は、ショーの服ではなく下着とジーンズである。#MYCALVINSのSNSキャンペーンで動く大衆ブランドに、パリ・クチュール級の作家性を接木する。この実験は、服の質ではなく規模の算数で破綻した。

205W39NYCの遺産

項目 内容
期間 2016年8月〜2018年12月(約2年4か月)
主な仕事 205W39NYCの創設、アメリカーナの批評的引用、CFDA複数受賞
結末 PVHの業績批判とともに契約途中で決別。205W39NYCラインも消滅
その後 ラフは2020年からPradaの共同クリエイティブ・ディレクターへ

皮肉なことに、205W39NYCの服は終了後に評価を上げ続けている。二次流通では「短命に終わった実験」ゆえの希少性が価格を支え、当時のルックは今もスタイリングの参照元であり続けている。

BrandPRADA(プラダ)とは?|ミウッチャが定義した反ファッションの哲学READ MORE

in the vault=ここだけの話

この一件は「アートとカネの衝突」として語られがちだが、本当の教訓は少し違う。ラフの失敗は服ではなく時間だった。ブランドイメージの転換が売上に反映されるには年単位の時間がかかるが、上場企業の忍耐は四半期単位でしか続かない。同じ頃、非上場のオーナー企業に迎えられたデザイナーたち(GucciのミケーレしかりBottegaのダニエル・リーしかり)が数年の猶予をもらえたのとは対照的だ。

だからこの物語の読み方はこうなる。デザイナーの才能は、契約書の忍耐条項までは書き換えられない。ラフがその後、同じ「よそのブランドの舵取り」でもPradaという家族経営の家を選んだのは、CK時代の一番の学習成果かもしれない。

まとめ

  • Raf Simonsは2016年8月にCalvin KleinのCCOに就任。最上位ラインを「205W39NYC」(本社住所)に改称し、アメリカ文化の批評的引用で臨んだ
  • 批評的にはCFDA複数受賞と絶賛。商業的にはジーンズ高級化の不振と投資回収の遅れが親会社PVHに問題視された
  • 2018年12月、契約を残して決別。決算説明の場でデザイナーが批判されるという異例の幕切れだった
  • 教訓は「アート対カネ」ではなく時間の単位のずれ。以後のラフは家族経営のPradaで共同CDという座組を選んでいる