ノームコアは、もともと「服」の話ではなかった。2013年にアメリカのトレンド予測集団K-HOLEが発表したのは、「特別であろうとすることに疲れた人が、何者でもないことの中に自由を見出す」という態度についてのレポートだった。それが1年後にファッション誌に取り上げられた瞬間、「無地の量販服を着るスタイル」という服のジャンルへと姿を変えた。この記事を読み終えると、ノームコアの本来の意味から、なぜミニマリズムと混同されやすいのかまで説明できるようになる。
ノームコアは元々「服」の話ではなく「態度」の話だった
多くのファッション用語は、まず服のスタイルがあって、後から名前が付く。ノームコアは逆の経路をたどった珍しい例だ。社会学的な考察として生まれた言葉が、メディアを経由してファッションのジャンルに変換されたという成り立ち自体が、この言葉を理解する上で欠かせない前提になる。
2013年、K-HOLEの「自由についてのレポート」|「特別でないこと」の中に自由を見出す
2013年、トレンド予測集団K-HOLEはロンドンのサーペンタイン・ギャラリーで、ブラジルの調査組織Box 1824と共同で「Youth Mode: A Report on Freedom(青年期のモード、自由についてのレポート)」を発表した。この中で示されたノームコアという概念は、服装のコードではなく「何者でもないことの中に自由を見出す」という態度を指すものだった。異なる社会集団の間を柔軟に行き来できる適応力こそが、真の自由だという考え方である。
2014年、ニューヨーク・マガジンが「ファッションのジャンル」に変換した
この抽象的な概念が一変したのは、2014年2月のことだ。ニューヨーク・マガジンのライター、フィオナ・ダンカンが「Normcore: Fashion for Those Who Realize They’re One in 7 Billion(70億人のうちの一人だと気づいた人のためのファッション)」という記事を発表した。ここで描かれたのは、コメディアンのジェリー・サインフェルドを思わせる「パパの普段着っぽい服」を、おしゃれな大学生が着こなすという、視覚的にわかりやすいスタイルだった。
ダンカン自身は、後にこの記事が編集を重ねるたびに「もっとファッション、もっと反省(考察)は減らして」という方向に書き換えられていったことに不満を漏らしている。元は社会や階級構造への考察だったものが、バイラルに拡散する過程で「わかりやすい服のジャンル」に単純化された、というのがこの言葉の実態だ。
スティーブ・ジョブズという最強のノームコア・アイコン
ノームコアを体現した人物として、後年もっとも引用されるのがスティーブ・ジョブズだ。三宅一生(イッセイミヤケ)にデザインさせた黒いタートルネック、リーバイスの501、ニューバランスのスニーカー。この3点だけを何十年も着続けた。
この組み合わせは、もともと「制服」を作ろうとした試みの副産物だった。ジョブズはソニーの社員制服にヒントを得て、三宅一生にApple社員全員の制服デザインを依頼したが、社員からの反発で頓挫した。そこでジョブズは、全社員の制服にする代わりに、自分一人のための「制服」として同じ黒いタートルネックを100枚以上作らせた。決断の数を減らすための合理的な選択が、結果としてノームコアの象徴になった。
ノームコアとミニマリズムは何が違うのか
見た目がほぼ同じでも、論理がまったく違う2つを並べる。
| 項目 | ノームコア | ミニマリズム(モード側) |
|---|---|---|
| 出発点 | 「特別であろうとすること」への疲れ | デザイナーによる美学的な引き算 |
| 価格帯 | 量販・ベーシック価格帯 | 高価格帯 |
| 論理 | 「みんなと同じでいい」という平等主義 | 「無駄を削ぎ落とす」という美学的完成度 |
| 象徴 | ジョブズの制服、New Balance 990 | Jil Sander、The Row |
同じ白いTシャツでも、ユニクロで買ったものとThe Rowで買ったものは、見た目の差がほとんどないのに値段は何十倍も違う。両者を分けているのは生地の質だけでなく、「特別でないことを選んだ」のか「無駄を削ぎ落とした結果、特別でなく見える」のかという、逆方向の論理だ。
初めてノームコアを取り入れるときの3つの失敗
- 「安ければいい」で選ぶ: ノームコアは思考停止の結果ではない。素材やシルエットの質を落とすと、ただの「安っぽい服」になってしまう
- 柄や装飾で個性を足そうとする: ノームコアの核は「引き算」。柄やロゴを足した瞬間にジャンルの前提が崩れる
- 毎日違う「普通」を着ようとする: ノームコアの強さは反復にある。ジョブズのように同じ組み合わせを繰り返すことが、むしろ核心に近い
in the vault=ここだけの話
ノームコアという言葉の運命は、皮肉に満ちている。K-HOLEが本来伝えたかったのは「特別であろうとすることをやめる」という態度であり、それは究極的にはファッションそのものへの距離の取り方だった。ところがその言葉自体が、メディアを通過する過程で「特別なファッション用語」になってしまった。
「何者でもないことの自由」を説いたレポートが、皮肉にも「何者かになるための新しいスタイル」として消費された。これはノームコアだけの話ではない。ある態度や思想がバズワードになった瞬間、その思想は元の姿を失う。ノームコアは、言葉が拡散する過程でどれだけ本来の意味から離れていくかを示す、わかりやすい実例でもある。
まとめ
- ノームコアは元々「服のジャンル」ではなく、K-HOLEが2013年に発表した「特別でないことに自由を見出す」という態度についてのレポートだった
- 2014年、ニューヨーク・マガジンの記事によって「無地の量販服を着るスタイル」というファッションのジャンルに変換され、バイラルに広まった
- スティーブ・ジョブズの黒いタートルネック・501・New Balanceは、決断疲れを減らすための「制服」がノームコアの象徴になった代表例
- 見た目が似ているミニマリズムとは、「特別でないことを選ぶ」のか「削ぎ落とした結果として特別でなくなる」のかという、価格帯も論理も逆の関係にある