コンポーザーのn-buna(ナブナ)とボーカルのsuis(スイ)。ヨルシカはこの二人だけのバンドで、結成から今日まで、二人とも一度も公式に顔を出していない。それなのにアルバムはチャートの1位を取り、アニメの主題歌を任され、ライブのチケットは取り合いになる。顔も年齢も出さずに、なぜここまで届くのか。答えは単純で、ヨルシカが売っているのは「アーティスト」ではなく「物語」だからだ。この記事では、結成の経緯からアルバムの読み方、覆面の理由までを一度に整理する。

ヨルシカは「バンド」ではなく「物語の装置」である

普通のバンドは、曲を作り、シングルを出し、アルバムでまとめる。ヨルシカは逆で、まず物語があり、その章としてアルバムが作られ、曲は物語の場面として書かれる。アルバムを順に聴くことは、長編小説のページをめくることに近い。CDのパッケージも書籍のような装丁で、作品によっては写真や手紙、日記帳、百数十ページの小説が同梱されてきた。音楽を「読む」ことを前提に設計されたバンド。これがヨルシカの正体であり、他のJ-POPとの決定的な違いである。

結成まで|ボカロPと、その仮歌を歌っていた人

n-bunaは2012年からボーカロイドを使うボカロPとして活動を始め、ニコニコ動画で人気を集めた作り手だ。suisはもともとn-bunaの楽曲のファンの一人で、のちに提供曲の仮歌の録音を引き受け、n-bunaのワンマンライブにボーカルとして参加するようになる。この関係が発展し、2017年4月21日、ヨルシカの結成が発表された。同年6月28日には1作目のミニアルバム『夏草が邪魔をする』を発売している。

バンド名は、このミニアルバム収録曲「雲と幽霊」の歌詞の一節「夜しかもう眠れずに」から取られた。機械の声で音楽を作ってきた人間が、「人間の声で表現したい」という欲求からバンドを組む。ヨルシカの出発点には、ボカロ文化から地続きの、しかしボカロでは満たせなかった何かがある。

なお、ヨルシカのライブをステージの後ろで支えたサポートベーシストの一人が、のちに自分の名前で紅白に立つキタニタツヤである。日本のポップシーンの人材がこのバンドの周辺で交差していたことは、後から振り返ると面白い符合だ。

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アルバムの読み方|エイミーとエルマ、そして音楽泥棒

ヨルシカを聴き始めた人が最初に戸惑うのが、「どこから聴けばいいのか」だ。物語で繋がっている作品群があるので、地図を先に渡しておく。

作品発表ひとことで言うと
『夏草が邪魔をする』『負け犬にアンコールはいらない』2017〜2018年初期ミニアルバム。青春の焦燥と喪失の原型
『だから僕は音楽を辞めた』2019年4月メジャー1作目。エイミーという青年の物語の側
『エルマ』2019年8月エイミーに応答する少女エルマの側。2枚で一つの往復書簡になっている
『盗作』2020年7月音楽を盗む男の物語。小説が同梱された問題作

中核にあるのは『だから僕は音楽を辞めた』と『エルマ』の2枚だ。音楽に絶望した青年エイミーと、彼を追う少女エルマ。2枚のアルバムが手紙の往復のように対になっており、曲順に聴くことで初めて全体の物語が見える。『エルマ』はオリコンのデイリーアルバムチャートで1位を獲得し、「物語ごと聴く」というこのバンドの提案が商業的にも通用することを証明した。

続く『盗作』は、音楽の独創性そのものを主題にした一枚。「音楽を盗む男」を主人公に、歌モノ10曲とインストゥルメンタル4曲で構成され、初回盤には約130ページの小説が付属した。創作とは何かを、創作物の形で問う。ここまで来ると、もはや音楽アルバムというより文学の企画に近い。

音の設計|n-bunaの文学趣味と、suisの「演じる声」

ヨルシカの曲を特徴づけるのは、疾走感のあるギターロックの上に乗る、文語の匂いがする歌詞だ。夏、雨、月、詩人。n-bunaの言葉選びは、J-POPの平均的な語彙より明らかに書籍のほうを向いている。アルバムに小説や手紙を同梱する装丁も、この文学趣味の延長にある。音楽から入った人が文学に触れ、文学から入った人が音楽に触れる。ヨルシカは二つの世界の間に置かれた扉として機能してきた。

そしてsuisの声は、この物語装置の要だ。彼女は「suis自身」として歌うのではなく、エイミーやエルマといった登場人物の声を演じるように歌う。曲によって少女にも青年にも聞こえる声色の幅が、一人のボーカルで複数の人物の物語を成立させている。顔が見えないことは、この「演じ分け」にとってむしろ好都合ですらある。声の主の実像が見えないから、聴き手はどの人物の声としても受け取れるのだ。

顔を出さない理由|二人で動機が違うのが面白い

ヨルシカは覆面バンドと呼ばれるが、顔を出さない理由は二人で異なる。n-bunaの理由は作品主義だ。「作品を作る者が、作品の前に出てしまわないようにしたい」。聴き手に先入観を持たせず、音楽だけを純粋に聴いてほしいという思想で、これはアルバムを物語として設計する方法論と一貫している。

一方suisは、インタビューで「私は人間が怖い。顔が知れたら何をされるかわからない」という趣旨の、もっと個人的で切実な理由を語っている。芸術上の信念と、生身の恐れ。動機はまったく違うのに、結論が同じ場所(顔を出さない)に落ちた。この非対称こそが、ヨルシカという装置の人間的な部分だと思う。

現在地|『葬送のフリーレン』と、より広い聴衆へ

2024年1月には、テレビアニメ『葬送のフリーレン』第2クールのオープニングテーマ「晴る」を書き下ろしで担当した。国民的な人気作の主題歌を、顔を出さない二人組が背負う。作家性の強いコンセプトアルバムと、間口の広いタイアップ曲。この両輪を矛盾なく回せているのは、どちらも「物語に曲を書く」という同じ作業だからだろう。アニメのタイアップはヨルシカにとって、他人の物語に曲を差し出す、いつもの仕事の延長線にある。

これはキャリアの設計としても示唆的だ。作家性の強いアーティストがタイアップを受けると「魂を売った」と揶揄されがちだが、ヨルシカの場合、そもそも自分たちの作品も「架空の人物のための曲」なのだから、依頼主が架空の青年から人気アニメに変わっても、作業の本質は変わらない。作家性と商業性の対立という古い問いを、物語という方法論そのもので無効化している。

覆面という選択が「囲い」だとすれば、その対極で、自分をまるごと開いて世界に届いた音楽家もいる。同じ時代の日本から出た正反対の二つの戦略として、読み比べてみてほしい。

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ヨルシカのFAQ

Q. 読み方と表記は?
「ヨルシカ」と読む。カタカナ表記が正式で、英語圏では「Yorushika」と綴られる。n-bunaは「ナブナ」、suisは「スイ」と読む。

Q. ライブでは顔が見えるの?
ライブは行われているが、演出や撮影ルールによって素顔が広く出回らない形が保たれている。「ライブに行けば会える、でも記録は残らない」という距離感そのものが、このバンドの世界観の一部になっている。

Q. YOASOBIやずっと真夜中でいいのに。とよく並べられるのはなぜ?
どちらもボカロ文化の周辺から出てきて、2010年代末に「夜」を冠する名前で登場した共通点があるため、しばしば一括りに語られる。ただし中身は三者三様で、ヨルシカの独自性は「アルバム単位の物語」と「徹底した覆面」の組み合わせにある。並べて聴き比べると、それぞれの設計思想の違いがよくわかる。

Q. どのアルバムから聴けばいい?
物語を最初から追うなら『だから僕は音楽を辞めた』→『エルマ』の順が王道だ。まず1曲だけ試すなら、タイアップ曲(「晴る」など)から入って、気に入ったらアルバムの物語に潜る、という順番でも遅くない。

ここだけの話|作者が消えると、聴き手の解像度が上がる

顔を出さないことは、情報を減らす選択に見えて、実は逆のことが起きている。作者の顔、年齢、私生活という「答え」がないぶん、聴き手は歌詞と音だけを頼りに、自分で物語を組み立てるしかない。ヨルシカの考察がネット上に無数に存在するのは、n-bunaが余白を設計し、聴き手がそれを埋めているからだ。作者が消えた場所は空白にはならない。聴き手が座るための席になる。

これは実のところ、このサイトが「金庫室」を名乗っていることとも通じる話だ。全部を見せないから、開けた人だけが中身を知っている。誰にでも届く音楽と、開けた人にだけ見える物語。ヨルシカはその二層構造を、日本のポップスで最も美しく実装した例だと思う。

だからヨルシカの入口に立った人に伝えたいのは、急いで「正解の考察」を検索しないでほしい、ということだ。エイミーが誰で、エルマがどうなったのか。答え合わせを急ぐほど、n-bunaが空けておいてくれた席は狭くなる。まずアルバムを通しで聴いて、自分の解釈を一度作ってから、他人の考察と突き合わせる。この順番で聴いた物語は、忘れられない一冊と同じ場所に残る。

まとめ

  • ヨルシカはn-buna(作曲)とsuis(歌)の二人組。2017年4月結成、バンド名は「雲と幽霊」の歌詞「夜しかもう眠れずに」から
  • アルバムを長編小説のように設計する「物語の装置」。『だから僕は音楽を辞めた』と『エルマ』は2枚で一つの往復書簡になっている
  • 『盗作』は約130ページの小説付き。創作の独創性そのものを主題にした
  • 顔を出さない理由は、n-bunaは作品主義、suisは個人的な恐れと、二人で異なる
  • 2024年には『葬送のフリーレン』OP「晴る」を担当。作家性とタイアップの両輪で、覆面のまま国民的な存在になった